がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

「それを何と呼ぶかは貴女が決めてくれ」 1

目次 

       


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 世の中に、「妹萌え」ということばが流行りだしたのはいつの頃だろうか。その前はたしか、「シスコン」といったはずだ。
 しかしながら厳密にいえば両者に多大なる差異があるかもしれず、俺は無茶なことを言い出しているのかもしれない。だいたいサブカルチャーに疎いので「萌え」の意味がよくわからない。だからというわけでもないが、そのふたつに違いを認め難いというだけのはなしである。とはいえシスコンの語には「姉」も含まれることくらい瞬時に気づくべきだ。
 俺はそうとう疲れている。ああ、疲れているのだ。
 こんなことでグダグダ悩むくらいなら、プルーストでも読むほうがいい。フランス語を忘れないためにも原書で読むかと考えていたところで電話が鳴った。
「龍村さん、泊めてくださいよ」
 浅倉悟志だ。同い年の後輩は学生時代と変わらず俺の家を急場の避難所だと思っているようだ。断ったとて、来ることは間違いない。駅前角のコンビニで明朝食べるものを適当に買ってこいと命令して電話を切った。
 浅倉のやつ、相当まいってるな。 
 自分のことで頭を悩ますより、他人のそれのほうが気楽だ。フランス語をあきらめ集英社版のそれをローテーブルに置き、母が好きだったウラジミール・ド・パハマンの弾くリストの『リゴレット・パラフレーズ』を流す。リストは、ほかの作曲家のパラフレーズにおいて驚嘆すべき手際を発揮する。その甘美すぎるほどの旋律に身をゆだねながら、やつが来るまでこの懊悩の正体を見極めるために頭をきりかえた。
 ことの始まりは浅倉が深町さんと再会した奇跡による。それは、俺と妹の茉莉の関係に奇妙な変化をもたらした。妹とはいっても、俺の家は連れ子同士の再婚家庭なのだが。
 両親と柏で暮らしている茉莉は、ピアノ教室が休みの日には俺のマンションに料理などしに通ってくる。それが、さいきん妙に頻繁なのだ。本人は生徒が減って暇なせいだというのだが、それだけではないのは火を見るより明らかだ。
 もしかすると、俺はすこし性急にはなしを進めてしまっているかもしれない。深町さんなら、らしくないと心配するに違いない。ああ、そうだ。正直、混乱している。いや、来るべきものが来たという、その重すぎる現実にふたがれて、始める前に疲弊していた。
 俺はもう三十半ばだ。ダンテが「人生の道の半ば」といい、暗い森に分け入った年齢だ。疲れて当然と言わせてくれ。そして俺は、詩聖ダンテとちがい、これから「正道を踏みはず」すつもりでいる。
 まずは「深町サン」のことを話そうか。学生時代、俺は文化会本部役員という生徒会のような活動をしていた。所属していたのは施設備品管理局。略して「施設管理局」。俺が二年生だったときの局長が、深町姫香さん。そして、新入生の浅倉は軽音楽部から学園祭実行委員として借り出され、施設管理局に配属された。ついでに「編集局」にいながら施設管理局室に入り浸っていた来須美奈子は深町さんの部活の後輩だ。茶道部の部長をしていた深町さんを慕い、あとをついてまわっていた。
 その深町さんだが、浅倉との再会をご丁寧に来須と俺にも連絡した。めんどうくさがりのくせに、そういうとこで来須に回しとけと指示しないところが彼女らしいというか、なんというか。俺と来須が彼女と浅倉の関係についてなにがしか語るであろうことを予期したらしい痕跡も見えて、俺はひとりで苦笑した。
 浅倉は当時、深町サンに振られている。半年も一緒にいて、その彼氏が自分の部活の部長だと気がつかなかったのだから驚きだ。そしてまた、俺と来須はやつの間抜けさ加減にはらはらしながらも、あえて、そのことを教えてやろうだなんて露とも思わず、不器用な恋を桟敷席同然の場所で愉しんだ。
 その結果、今夜のように、あのラブコメディという名の娯楽演目の代価を支払わせられるのだ。高くついたか安くついたかは、わからない。だが、俺はやつに黙っていたことを後悔しない。来須もまたそうだろう。
 素面で顔を見合わせるのもなんなので、ワインクーラーから白を取り出して浅倉が来る前にあけてしまう。グラスに注ぎ、プルミエ・クリュにしては程々だと腹におさめ、頁をめくる。
 「逃げ去る女」という章がある。文字通り、主人公から離れ去っていった女アルベルチーヌのことをいう。
 俺は、浅倉にとっての深町さんが、そんな女なのではないかと思っている。そう言うと、やつは太い眉をしかめて、それ、不幸な話じゃないっすかと不満をもらした。
 唐突だが、「侯爵夫人は五時に家を出た」式にこの書き物をするつもりはなくなった(たんに、浅倉の顔をみたら気力が萎えたのだ)。言い訳をすると、俺はべつに小説家をめざしているわけではない。そもそも一人称小説とはおしなべて「自伝」(または書簡)であり過去を振り返って「本人」によって書かれたものであるという体裁をとる(ことくらいは知ったうえで書いていてほしいと願う俺はいっとき仏文学者を志したことがあるとだけは告白しておく)。つまり、どう鑑みても三十代の俺がものすには早すぎる。そしてまた、いくら俺がウンベルト・エーコ先生と同じ一月五日生まれであろうとも、「手記だ、当然のことながら」と書いて恥を上塗りする気もない(そんなことをしたら、深町サンに鼻であしらわれるに決まってる)。
 それはそうと、読んだことがあるのかと尋ねると、ないけど、そんくらいはオレだって知ってますよ、と口を尖らした。「そんくらい」のレベルがどの程度なのか問う気もなかった。たんに、アルベルチーヌのその後の不運を「不幸」とよぶテンプレート思考なのか、はたまた主人公と彼女の関係のあり方まで察しているという意味なのか。
 さりとて『失われた時を求めて』くらい読んでおけよ、といい難かった。遠慮したわけではない。浅倉はあの名前のない「私」という主人公に共感しないであろうことだけは理解できたからだ。
 俺個人は読書に「共感」を求めることを否定しない。実のところ俺という人間はしようもない安手のメロドラマが大好きなのだ。ステレオタイプの三角関係、オリジナリティどころか創意工夫も何もない世界観、お定まりの病気や死別、そのほかクリシェ濫用の物語の海に鼻の下までどっぷり浸り、今にも息絶えそうになりながら亢奮すればこそ、アルベルチーヌの運命、そのわかりやすい悲劇に悦びをおぼえる。作者の痛ましい現実の影をそこから読み取ることもせず、いや、それを知れば余計に、ただひたすら「不幸」や「悲劇」の甘い苦痛に溺れるのだ。
 俺は、ここに逃げ込んでくるということは浅倉の十数年越しの片想いがうまくいっていないと知っていて、ある種の慰めがわりにつぶやいた。
「だが、それがいちばん美しい形じゃないか?」
「それ、妹さんのこと?」

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