みそひともじ駄文2 なんとなく、日常
風邪薬のんでます。
夏風邪つらいっす><
ところで、
参加してます&出してきました!(コラボ花うさぎの相方なのに初参加が一周年という体たらくですw)
— 磯崎愛@コラボ花うさぎ (@isozakiai) 2017年7月24日
実駒さんと榛さんのお歌が気に入りました☆ https://t.co/1tfHyGxRtj
うささんに、七夕(織姫と彦星)かと突っ込まれましたw
それから、好きとおっしゃってくださった方がいらして、とても嬉しかったです!
えへへ☆
くちびるの色より淡いルージュひき生娘のように俯いている
薔薇色とよぶにふさわしき唇にヌルイ雨だけが語りかけ
モルトフォンテーヌの想い出よ、はなづなを編む手がなでる木洩れ日
半夏生かたみを白く染めた帆を掲げ漕ぎだすよ星の海
望月の靄あかあかと包まれてある足とめて手で振りはらう
短冊の「謹呈 訳者」に慄きつ捲る手存外勇ましく
モルトフォンテーヌには残念ながらいったことないんですが。
これ、ね
下のとあわせて、絵と西洋史がお好きなひとに絶賛おすすめ!!!
わたし、唇の色が赤いので、ピンク系のルージュだとファンデーションをのせてから引かないとならない。ていうひと手間が面倒くさくて、わりとガッツリ赤い色をひいています。いわゆる中年女っぽいメークになりがちだけどでも、肌の色はいかんともしがたいし、黒髪白膚紅い唇が好きなんですよ。
あとなんかわたしのおうたはうたじゃなくてやっぱり狂歌とかソッチなんじゃないかなあ、みたいな、よく知らんけどw だったらもっと洒落のめしたいなあ、いやしかし、そういうのはセンスがないとあかんのだろうなあ、む~ん
日記をつけるように歌を詠む、ていう感じのでした。以上!
みそひともじ駄文1 式子内親王&西行だいしゅきおまーじゅ
ふと思い立って。
だいしゅきホールド的な感じでw(恥ずかしいのでこういうタイトルつけがちなんだけど、でも恥ずかしいんだよ! お歌のことは特に)
なんかそういえばお歌のなりそこない(みそひともじ駄文)ハイクにおいてたなって思い出したので(この、ハイクに歌をおくっていうの、はてな知らないとなんもわからんところがよいよね?w)
ぜんぶサルベージできたわけじゃないのだが、まあ、てけとーに。
わたしが詠んでるのって、これ和歌とか短歌じゃないよなああ、ていうか韻文は書かないぞ、小説のなかで仕方なしに出すもの以外、ていう気持ちでいる。初めて三島由紀夫の「詩を書く少年」を読んでからこころに固く決めているさ。
山桜のつぎは八重桜麗しの内親王が軒仰ぐ
(やへにほふ軒ばの桜うつろひぬ風よりさきにとふ人もがな)
こひこひてたえなばたえねといいはなつひとの残酷を我愛す
(恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと言ひしにあらず君も聞くらむ)
(玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする
この世には忘れぬ春とよむひとの春の歌ばかりよむ春生まれ
(この世には忘れぬ春のおもかげよ朧月夜の花の光に)カッコ内すべて式子内親王
(これ最高だったんだけど、わたし式子内親王は絶世の美女だとおもってない派で、でももちろん美人は美人なんだけど、なんていうか、絶世の美女だったら内親王にならなかったんじゃないかとうっすらおもってて、なんだろうなあ、定家卿は「才能のある高貴な美女」は大好きだろうけど、美貌だけで成立する美女はそんなに好きではないのでは的な疑いがあるのだわたしのなかに)(うまく言えないんだけど、式子内親王は美貌だけで世の中渡っていく美女ではない、ていう感じがするのさ。あまり幸福とは言えなかったであろう人生についておもうと)
(このシリーズは薄くて読みやすくてまとまってて有り難いので、よく図書館で借りてくる)
異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集 (角川選書)
- 作者: 田渕句美子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川学芸出版
- 発売日: 2014/03/20
- メディア: Kindle版
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(これも面白かった)
(馬場さん好き)
(これ読みたかったのでメモ的に)
(あ、法然が思い人だった説はわたしには合わなかったです)
西行になるわけでなし吉野の花を知らずとも春は美し
知らずともと繰り返し知ることが何かはあらむと嘯いてみる
桜さく波羅密の教え知らずともゴーウエストと言うは易し
おうちにあった
おうちにあった
再読したい
再読したい
好き
あ、これでしめましょうかね、大好きです。
気が向いたらまた☆(月一でしかブログ書かなくなってしまった磯崎愛より)
こうせいぶっしつ
とうとう月イチしかブログ書かないひとになってる磯崎愛です、こんばんは!
「ひょうそ」らしきものになったのでお医者さんいってきました。
こうせいぶっしつを飲んでます。
なんか、抗生物質ってこうせいぶっしつって平仮名で書くと何で出来あがってるんだろって気がして可愛かったのさ。
ところで、
心身の調子がビミョーにわるくて弱ってますが、それなのに生きててエライし、会社いってえらいし、カレーも作ったのでとても偉いと自分を褒めて生きてます!!!((愚痴を言ってスッキリしないタイプの人間なのでこういうとき困る)(あと、ほんとうにホントウに困ってるときは愚痴なんか言ったって救われないし、ただただ助けてほしいのだけど、助けてほしいと口に出して助けてくれることのできる相手というのは世の中にはそういないことがワカルのが年をとることのよいことのような気がする、悪いことじゃなくて。悪いことじゃなくて、うん。そういうのはとても良いことだよ)
あ、
ほんとうにホントウには困っていないのでご心配なく。
ほんのチョット困ってるなあ、くらい。
ていうか、わりとギリギリのところにいつもいるんですが(いや、すでにだいぶイリーガルなところに近づいてる感じかもだけど、これでも持ち直してるんだよ、たぶん)、ノンシャランとしたふりができる自分がけっこう好きです、ふふふ☆
んじゃね!
花をささぐ
ほんとうは、本を、捧げたいんだろうとおもいつつ。
わたしにはそれだけのものがまだ書けているとおもえなくて、じっさいそうで、自分が情けないのだけど、お花を。
言葉ではなく、お花を。
107 「紅旗征戎吾事に非ず」と「【自己】検閲」
なんとなく、めちゃくちゃ久しぶりに伴走メモを再開しました。
いま、カクヨムさんで連載してます。
記事タイトルの後ろ側は、こちらから。
検閲を警戒すること。しかし忘れないこと──社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、【自己】検閲です。
- 作者: スーザンソンタグ,Susan Sontag,木幡和枝
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2004/03
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お上に検閲されることより、委縮して自分でじぶんを「検閲」するほうが問題なんだよなあって。ワカル。おっかないもんね。
いわゆる政治的なことだけでなく、いろんなこと。性的なことだったり、ひどく個人的なことだったり、色々なことですよ。
「言葉」というのはそのひとの「生命」みたいなところがあるから、じぶんのそれも、大事にしないとねっておもう。
ここで、この言葉について語りだす前に、はてなハイクの伴走メモのリンクだけとメモとをはっておきます。
「 原著はPassing It On---A Memoir として、2004年に刊行されています。原題が示唆するように(pass on は、「次に回す、伝える」の意)、また「日本語訳への序文」で著者自身が述べているように、回顧録は、「何よりも愛しい子どもたちのために」書かれたとのことです。 確かに、著者の家族や友人についての記述に、かなり紙幅が割かれています。(邦語版では一部が割愛されています。)とはいえ、原著が刊行されたときに、ある友人が私に一読を勧めてくれた理由は、著者ユリ・コチヤマがマルコムXと親しくしていた様子がよくわかるから、というものでした。マルコムXは私の研究対象ですので、早速購入して興味深く読んだことを覚えています。そんな思い出のある本が、邦語版の抄訳として、広く日本の読者に届けられることになったのは、個人的にも嬉しい限りです。なお、ユリさんの半生を綴った伝記としては、中澤まゆみ著『ユリ 日系二世ハーレムに生きる』(文藝春秋、1998年)が出版されています。」
http://blogs.yahoo.co.jp/hisaeorui/26390434.html
ユリ―日系二世・NYハーレムに生きる [単行本]
中沢 まゆみ (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163544909
ユリ・コチヤマ回顧録―日系アメリカ人女性 人種・差別・連帯を語り継ぐ [単行本]
ユリ コチヤマ (著), Yuri Kochiyama (原著), 篠田 左多江 (翻訳), 増田 直子 (翻訳), 森田 幸夫 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4779115450/
丸屋さんの師匠の訃報。
R.I.P.
さて、「紅旗征戎吾事に非ず」を知ったのはたぶん高校生のときで、この本を読んだときでした。
あ、こんな本が出てるのね。
備忘のためにはっておく。
定家卿、めっちゃ好きでして。
青白い顔をしたかんしゃくもち、狷介(けんかい)の士。でも、わりとお茶目なところもあるとおもう。
『松浦宮物語』とか、ほんとに定家卿が書いてるんだとしたら、めっちゃラノベ☆
Wヒロインだし、ご都合主義だし、願望充足ファンタジーっぷりがチョーゼツ可愛い☆
ともかくわたし、定家卿が好きすぎて、式子内親王と恋愛して欲しくてたまらないので、誰か小説に書いてかいてと言い続けて、けっきょく三島も辻邦生さんも死んでしまってるので、ほんと悲しい。
ああいうひとたちが、戦乱の時代に生きた芸術家を書いてから逝くべきでしたよ。政治と、芸術と、恋と、ちゃんと書いてくれるべきですよ。
ちなみにふたりとも同じ年生まれ、学年が違う形かな。
てことで(?)、「紅旗征戎吾事に非ず」も好きです。
諸説あるらしいですが、若いときに書いたのでも、晩年に書き足したのでも、どっちであろうとも、わたし、この言葉がかっこよくてとても好きです。
かっこいい、という、どこか浮ついた言葉のままに好きだとくりかえしたい。ここに「重み」が必要になるほどのことがないように、願っている。