あげたりさげたりしたりして
ご無沙汰です。月に一度しかブログ書かないひとに成り下がった磯崎愛です、こんばんは!
いや~、先月末に風邪ひいて大変でした。
これもしやインフルかもって感じだったけどどうにか起きてます。
そうそう、そのあいだにひっそりとタンブラーとかも作ったんだけど、駄目だ、新しいのに慣れないっす。
そんなひとなんですが、コラボ花うさぎ相方のうささんに誘ってもらって少し違うところで小説「あにといもうと」を発表したりしてます。
【Text-Revolutions】Webアンソロジー「嘘」
— れぼん@文フリ東京キ11 (@textrevon) 2017年1月18日
あにといもうと 公開しました!https://t.co/7KLhdafNkc
磯崎愛/ @isozakiai
あにといもうと
おりたちてうつつなき身の牡丹見ぬそぞろや夜を蝶のねにこし――与謝野晶子『みだれ髪』
九歳で妹ができた。おかっぱの市松人形のような一つ年下の女の子だ。知らない子ではなかった。たまにうちに泊まっていた。昼間はにこにこしていたのに夜は泣く。布団を頭からかぶっていても声が聴こえた。
しゃくりあげるような、聞いているだけで息苦しくなるような嗚咽だった。
糺 は布団から這い出て母親に知らせにいった。真夜中に起こされた母親は眉をしかめながらもほうっておきはしなかった。
幸恵 ちゃん。
めったに聞かない猫なで声で名を呼んで、いっしょに寝ましょうねと囁いて布団に潜りこんだ。しばらくすると幸恵は泣きやんだ。糺は甘ったるい母親の声をしゃぶるように思い返しながら眼をとじた。闇に溶けるようにすぐ眠れた。
ところが、うちの子とやらになってからは、母親は幸恵を泣かせるままにした。いや、おにいちゃんなんだから面倒をみてあげなさいと糺を叱るのだ。
いっしょの布団に潜りこんで抱き締めてやるのは気が引けた。
幸恵は色白で、黒目の大きい潤んだ瞳とぷっくりと赤い唇をしていた。泣いて鼻を垂らしていても細い八の字眉のせいで可愛げがあった。
おにいちゃん。
かぼそい声で、いっしょに寝てもいいと聞かれると頑なに首を横にふった。こども特有の高い体温に甘酸っぱい汗のにおいが混じり、持ち重りのする髪が汗で湿っている。女の肉の滴りのように香るものが擦り寄ってくる。泣いている幸恵を見ていると、おなかのずっとしたのほうがもぞもぞとした。それが何か、夢使いになる糺は知っていた。
養蚕の技術を教え、手伝いながら夜伽をし、この花綵(はなづな)列島を渡り歩いた夢使いにまとわりつく性のにおいに糺は疎くなかった。もちろん師匠に教わりもした。
それでも、ときどき自分の手にすべりこんでくる華奢で小さな湿った手まで振り払わなかった。いつも決まって親のいない場所で行われることにも気づいていた。
てことで冒頭です。つづきはリンク先のテキレボさんの「嘘」アンソロに掌編を掲載していただいていますので是非ご笑覧くださいまし!!!
血の繋がらない兄と妹のおはなしです。
おかげさまでたくさん感想いただいたのですが(ありがとうございますありがとうございます!!!)、恥ずかしいから自分のやつをw(すまん、だって、恥ずかしいんだよっ、RTはしまくったけど、でも冷静になるとここにそれ貼るのチョットいま恥ずかしかった)
ところでテキレボさんのアンソロ(全年齢!!!)でこんなに「官能・エロス・艶めかしい」という言葉が並んだのは初めてではないかしらw(そんなことないですか?) すみません。でも手しか握ってません。
— 磯崎愛 @コラボ花うさぎ (@isozakiai) 2017年1月19日
小説ってさあ、色気があったらそれで「勝ち」みたいなとこ、ないです???
世の中には、とりたててなんでもないことを書いても色っぽい、艶めかしいひとがいて、わたしはけっしてそういうタイプではないのがわかってるから余計、文章に艶のあるヒトに憧れてる。だから今回は頑張ってみたよん♪
頂戴した感想に官能とかエロスとか艶めかしいが並んだので、及第点かなと。
ところで、このブログのタグにある「へりくつ」で何度も紹介してるのでもう知ってるよと言われそうですが、またこれ貼りたい気持ちになったので貼っておくね。
たまには太字で装飾したりなんかして☆
私の読書録に「文学」というジャンル名はない。「私はこう思う」と言うために書かれたものは、すなわち「私は他の人々とはかくかくしかじかの点においてこう異なる」ということを述べるものでもあって、そこに何らかの他者批判性が含まれるのはもともと避けられない。ゆえに、いかにそれを読んでもらえるかは筆者の表現技術の磨かれ方にかかってくるわけで、その文章に研鑽や創意工夫のあるものには必ず文芸的味覚性が備わっている。つまりは随筆も評論も広義の「文学」なのである。
実は今日、ちょっと嬉しいことがあって。
ブログやツイッターであげたらさげて、ていうことを必ずしてますよね、て言ってもらえて。読むひとが読めば、わたしがそこでなんらかの「操作」をしているのがちゃんと理解してもらえるんだなあって嬉しかったのさ。
文章ってある種の「運動」だとおもってるから、小説や物語の起承転結とまではいかなくとも、ひとまとまりのなかで強弱や速度の変化やあげさげ、なんらかの意味内容の変化、などというものを伴うように意識して書いてはいるのです。
ていうか、癖、かな。
なんか、素のままでしゃべるんなら鍵垢でいいしな、て。
磯崎愛という名前はペンネームだからたとえ愚痴を呟こうと、誰かから読まれている、という意識だけは持っているつもりなのでした。
我ながらかっこつけてる~ん!!! ておもうけど、いや、でも、なんか、じゃないと気持ち悪いんだよ、自分がねw
まあ、ほんとうはそんなのどうでもよくて、自分を律するはなしをひとさまにこうして晒すのはみっともないだけなので、さいきん読み返してる本をおいていったん退避だ!(恥ずかしいんだよっ)(タグが「しゅうち☆ぷれい」なところでお察しください)
(ところで、去る前に言うと、ちくまの柳田國男全集とか坂口安吾全集とかには世話になったなあとふと思い出し)(文庫が好きなのだ)(ファンタジーを書いてるの、わかる???)
はつ夢――夢日記19
(また例によって内容と写真は関係ありませんよw)(大伯母の丸帯仕立て直したやつ)
実は、なんの夢も見なかったのだ。
依頼人の男はそう言った。
では御代をお返しいたしますという言葉がするりと喉から飛び出した。わたしには夢使いとしての矜持など何もなかった。面倒事を避けたかった。
それですますつもりかと問い詰められた。
わたしはたしかに香音(かね)をとらえておろしました。しかしあなたはそれをご覧にならなかったという。わたしの伎(わざ)が覚束なかったとしか申し上げようがございません。
男はわたしの顔をじっと見た。
おれには香音など聞こえない。見えもしない。
あなたは夢使いではありませんから、その身に香音がおりて夢になるまではわかりますまい。
代金を返すというわりに物言いはあいかわらず傲慢だな。
御無礼の段、平にご容赦を。
わたしは頭を低くした。男はため息をついて背を向ける。そのまま、金はいい、また次の新月だと言う。わたしでよろしいのですかと問うと、他に夢使いの知り合いがいないとこたえた。ご紹介いたしますがと口にしてみるが、面倒臭いと苦笑した。
月に一度、新月の夜にわたしを呼ぶ男の鬱屈をわたしは疎んじている。男自身を嫌っているわけではない。
夢使いになりそこなった男の嫉妬と執着に疲れ果ててはいるものの、わたしは金払いのいい依頼人は嫌いではない。
この特異な力のもたらすものはそんな程度のものだ。男の生まれ育ち今の仕事に比べたら取るに足らぬ些細なことでしかない。
とはいえわたしはそれを決して教えてやらない。
ではまた新月の夜に。
わたしはにこやかに微笑んで頭をさげた。
男はわたしを見ていない。
見えない月を、眺めていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと小説っぽく仕上げてみた。
なんか、夢使いになった夢だった。もっと同じ言葉をくりかえすやりとりがあって、でもけっきょくまた来いって言われて帰ってくる夢だった。
ちぇーめんどくせーみたいなことを呟いてたのはわたしのほうでしたw
(ちなみにわたしは男だったな、三十くらいの小男だった)
どーでもいいですが、足が痛いです。
「触れる」ように書きたい
今週のお題「2017年にやりたいこと」
旧年中は大変お世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
よく死なないで生きてられたなあってこの数年ずっとおもってるんだけど、なんのかんのととても生き汚いのでわたしみたいなのはきっと大丈夫、みたいな気持ちです。
さて、本題。
ていうことで、うささんが予告画像つくってくれたので貼りまくります☆
わたしのほうはとうらぶファンフィクです。
うささんのほうがこちら
うささんのほうは北陸アンソロ「海柘榴(うみざくろ)」から連なっていますので是非そちらを御手にとっていただけますと幸いです。
公式サイト様
ちなみに、元の本はこんな感じです。
去年はコラボ花うさぎ再始動の年でしたね。
で、引き続き活動中です。
まだ拙作は発表になりませんが、
テキレボさんのアンソロにも参加しています。
第5回Webアンソロ「嘘」 | Text-Revolutions
この蛇腹本はそちらにも繋がるものです、とだけ。詳しいことは近くなったらまたお知らせいたしますね。
それから、
2017年にやりたいこと、
というか、こちらはわたし個人のこと。
生まれて初めて手をあげてみました。
へし歌初夜WEBアンソロジー「喋喋喃喃」様に参加いたします。
素敵なサイト様ですので是非ご覧になってみてください。
憧れのあの方も大好きなあの方もいらっしゃる、まさに豪華執筆陣!!!のなかにまぜていただけて大変に幸せです。
わたし、ひとりで発表するのは独りでコツコツやるんですが、
引っ込み思案すぎて他の方と一緒にするって誘っていただかないかぎり出来なくて、
本当に正真正銘生まれて初めて手をあげました!
ドキドキしてますが、がんばります><
(あと、コピー本でいいからへし歌さんで薄い本を出してみたい気がするけど、でもこれは来年でも全然いい)
そんなわけで勉強しようと、短編好きなの読み返してます。
わたしが持っているのは こっちですが。
やっぱり辻さんは落ち着くなあと。
泣かせようみたいなあざとさもないし、それでいて確固たる物語性はあるし、もちろん「小説」と「物語」について考えに考えて書かれた方で、ことにこの晩年のほうは物語性が強い作品なんですが、エレガントなの。上品で、とても好き。
世の中がなんとなく騒々しいせいなのか、刺さるとか殺すとか殴るとか、そういう言葉が飛び交っているのだけれど、そして、そういうものに対して憧れがまったくないわけでもないのだけれど(正直だなw)、
わたしは、「触れる」くらいが好きです。
誰かの記憶に、想いに、本人も忘れてしまっているような何かに、そっと触れたい。
ぴんと張り詰めた糸のような気持ち、怪我を負った場所、思い出すのもつらい出来事、そういうものは触れただけでも十二分にイタイですしね(意外とね、さわるだけで充分な威力はあったりするのさ)、
触れるだけでも「傷」にはなりうるし、うまくすれば慰撫することもできる。
そのくらい慎重な手で、書いていきたいなとあらためて。繊細でちいさな音を確かに奏でて響かせる、みたいなの。
やりたい。
そんな、感じです。
淵から岸辺へと~『無何有の淵より』に参加して~
なんとなく、書いておこうかなと。
これはいまのわたしのヘッダー、うささんにかいてもらった、しかも読むまえにw 何度もいうけど読むまえに!!!w(コラボ花うさぎ、お互いに愛はあるけど理解はないって言ってるけど作品についてだけは別だよ☆)
個人的に、エピグラフをずっと、とうらぶファンフィクで掲げて遊んできまして、そちらはかっちりストレートな嵌めこみ方をしてきたのですが、こんかい「マリーへの手記、或いは沈める寺への一考察」で最高にキモチノイイ裏切り方で三島由紀夫の「花ざかりの森」を入れられたのでそれだけで満足です♪
— 磯崎愛 @コラボ花うさぎ (@isozakiai) 2016年9月22日
正直ホント、内容はともかくこれが出来ただけでも満足です。
小説って言葉をつかって読むひとの呼吸や情動、ならびに時間その他を操作する魔法だとおもってるから、今回は順番間違わず呪文言えたみたいな気分☆
(どうもありがとうございます! 「マリーへの手記、或いは沈める寺の一考察」は自分の大好きな近代小説を目標に、むっちゃ背伸びして息も絶え絶えで書き終えたものでした。無事にどなたかの立つ岸辺に辿り着いたなら嬉しいです!)
— 磯崎愛 @コラボ花うさぎ (@isozakiai) 2016年11月18日
わたくしめがへったくそにしかオマージュらしきことができなかったので、いまだにこの近代小説について言及していただくこともないのですが、いや、これが下手くその証拠さw 精進します!
そういえば、小説で誰かを殴りたいみたいなのはないんだけど(もっと優しく、そっと触れたいです)(とはいえ今は、へし歌さん好きを増やすという目的で沼に突き落とす、という意味なら全力で殴りたいような気もするけどw)、じゃあ何がしたいのって聞かれたら、「炭斗を回す」なんだろうなあ。
— 磯崎愛 @コラボ花うさぎ (@isozakiai) 2016年8月21日
中盤の本音で色々台無しにしてますがwww(ひとさまのへし歌さん美味しいです☆)
「炭斗を回す」は、例によって三島の言葉です。したにブログはっときました。
そして、
「傷」に触れたい、それが美しいものだから、という想いはあるにはあるのですが、しかしそれは自分のサディズム加虐趣味嗜虐趣味だよなあ、それがあることは否定しないのですが、わりと悲惨なこと残酷なことって酔っぱらって書くのにちょうどよくて、その怠惰な感じがキライです。
大変なこと苦しいこと辛いこと、どうしたらいいかわからないような悲惨な何かを、「娯楽」として消費することもなく(するのが悪いとか言っているのではありません。エンタメっていうのはそういうものだし「他者の苦痛へのまなざし」というソンタグの言葉がありますが、いっぽうでそういうものを「必要」とする精神状態におかれることはいくらでもあるので、それはそれこそ「虚構」のする領分として大切なものだとおもっています。「欲望」はあること自体に対しては常につねに肯定する。それは否定しても抑圧しても仕方がないことだから、ゲンジツにそれが置かれたときにどうするのかという「言動」の次元においてどうにかするものだというふうにわたしは思い定めています)、かといって突き離すではなく、その悲しみや痛みのなかにひたすら埋没するのでもなく、書く、描く、そしてそれをさしだす、そっと、張り詰めた糸に触れるように、出来得ることなら天使の翅のように、柔らかく、そっと、あるかなしかの感覚で、でもどこか超然と、勝手に代弁しないために「距離」をとる、描くものの「重み」だけはきちんと居場所を与えたいけれど、というふうに書いている。
そんな感じです。
感想をいただいて、いくらかは、ほんの少しは、できたのかもしれないと自惚れて。
さあ、この世の深い、とても深い淵から、その隔たった岸辺はあちらこちらに広いぞと。なんとなく茫洋と、うまく呼吸できないまま、遠くをみはるかしている。
(風邪が治らない、マジで。昨日咳したらそのままもどしてびっくりしたですw年寄りか!!!)
(あ、お手本にした近代小説は三島じゃないっすよ)
- 作者: スーザンソンタグ,Susan Sontag,北条文緒
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2003/07
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